消防設備士独立備忘録

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職歴シリーズ〜くら寿司店長からの退職編〜

明石海峡大橋の夜のライトアップが間近で見れる、くら寿司舞子店にて統括リーダー試験をパスした僕。

次なるステップは、いよいよ「店長」です。

 

(余談ですが舞子店は他の店舗とは違い海が目の前にある事から、事務所にサワガニが入ってきたり、お客さんが海水浴のスウェットスーツのまま入店されたりと、珍客が多かった印象です。)

 

統括リーダー試験をパスした数日後に、いよいよ店長として赴任するよう辞令が下されました。

(ちなみに、当時、店にマネージャーが来たら大体異動を言い渡されるという暗黙の流れがありました。僕は今までで既に4回異動があったので、出勤してマネージャーの顔を見るとピンと来ました笑)

 

 

入社して3年半くらい経ってしまいましたが、ようやく店長に昇格しました。

しかし、ここまでの間で何回も会社を辞めようと思いました。自分に合ってない業界だなと感じていたのと、体力がなさすぎて限界だった事、このまま異動の多い会社だと将来結婚できないな〜と思っていた事が主な理由です。それに、入社2年以内に店長にならないと減給ルールも発動されており、モチベーションが下がったままダラダラと統括リーダーとして働いてしまっていました。

 

しかし、辞めても転職できる保証もなく、やりたい仕事もない。鬱々とした日々を過ごすまま、統括リーダー試験に合格したのでした。

 

まあ、せっかく入社したのだから、黒帽(店長以上の帽子)をかぶってみたいという思いも確かにあり、流れのまま店長として「玉津店」に赴任。

 

店長候補として入社したのだから、本来ならやっとこさスタートラインに立てたワケですが、すでに半ば心が折れかけていた状態でした。

 

それに追い討ちをかけるように玉津店の従業員と全くもって上手くいかず、店長なのに孤立してしまう始末。

 

従業員40名対自分独り。

 

さらには上司であるスーパーバイザー(SV)からも毎日詰められる日々。

 

 

ある日、完全に心が折れてしまいました。

 

あれは、年末の繁忙期でしたが、ある朝ベッドから出れなくなり、電話も出れなくなり、どうする事もできなくなりました。

 

4年続けたく〇寿司でしたが、まさかのバックレという最悪の形で終わりました。

 

その後の事はよく覚えていない、、確か、母親に半ば強引に部屋から救出され、実家に戻り、年末年始は休養をとったように記憶しています。

 

会社は有給扱いにして頂き、一月中旬で退職となりました。

店長が急に来なくなったのだからそれはもう多大な迷惑をおかけしました。そして、(自分は)やりたくない仕事をイヤイヤ続けると心が折れる事も知りました。

自分はそんな強い人間でないと。むしろ弱い人間だと。

 

 

なんだかバッドエンドでしたが、ここでく〇寿司シリーズは終了です。

ただ、振り返ってみるとこの会社での経験は後の人生で役に立ちまくりでした。